2008/03/03
それでもボクはやってない
痴漢冤罪事件を取り上げた映画『それでもボクはやってない』をTVで見た。
正直言って、日本の司法に対し、憤りを感じた。
警察や検察や裁判官の対応には真犯人を追及する、真実を冷静に見極めるという姿勢が見られなかった。
(もちろん作品のためにデフォルメしているのかも知れないが)
女性の権利は当然、守られなければならないと思うし、痴漢という卑劣な犯罪が無くなればいいと強く願うが、犯人にでっち上げられ有罪判決を受けた人はたまったものではない。
痴漢裁判では被害者の証言が重要視されるようだが、被害者にだって、勘違いというものはある。
満員電車内で起きた事件だったら、尚のこと、確実に犯人を特定することは困難だ。
その勘違いを被害女性に受け入れさせてあげることも、司法の役割なんじゃないか?と思う。
犯人じゃ無い人を『犯人だ!』と思うのって、個人的には気持ち悪い。(←スッキリしないという意味ね)
ずっと後になってから、人違いだったとわかったら・・・被害者だって、スゴイ脱力感なんじゃないだろうか?
昔は『疑わしきは罰せず』だったはずだけど、世の中の流れが変わってきたのか?
でも、冤罪事件が起こりやすい、この状況には問題があると思うなぁ。
よっぽどグウの音も出ない物的証拠がある時以外は、本来、有罪にすべきじゃないんじゃないのかなぁ?
訴えた被害女性だって、『ホントの犯人』への戒めが目的であって、第三者に無実の罪をきせたいんじゃないはずだ。
罰せられるべきは、痴漢の真犯人!!
裁判官の判断が、結果的に『冤罪に加担した事実』を多くの人の人生に残してしまうのだとしたら、・・・裁判官の誤った判断は、真犯人の痴漢行為と同じくらい罪深いよね。
裁判官は、もっと慎重に、真摯に『真実』を見ようとしなければならないのだと思う。
例え、軽微な犯罪であろうと、何もやっていない善意の第三者が、懲役3ヶ月は有り得ないし、あってはいけない。
『正義が勝てない世の中』では、善良に生きることが無意味に思えるようになる。
冤罪裁判の増加は、世の中を荒廃させる。
それとも・・・世の中が荒廃しているから、こんなお粗末な事件が増えているのか?
正直言って、日本の司法に対し、憤りを感じた。
警察や検察や裁判官の対応には真犯人を追及する、真実を冷静に見極めるという姿勢が見られなかった。
(もちろん作品のためにデフォルメしているのかも知れないが)
女性の権利は当然、守られなければならないと思うし、痴漢という卑劣な犯罪が無くなればいいと強く願うが、犯人にでっち上げられ有罪判決を受けた人はたまったものではない。
痴漢裁判では被害者の証言が重要視されるようだが、被害者にだって、勘違いというものはある。
満員電車内で起きた事件だったら、尚のこと、確実に犯人を特定することは困難だ。
その勘違いを被害女性に受け入れさせてあげることも、司法の役割なんじゃないか?と思う。
犯人じゃ無い人を『犯人だ!』と思うのって、個人的には気持ち悪い。(←スッキリしないという意味ね)
ずっと後になってから、人違いだったとわかったら・・・被害者だって、スゴイ脱力感なんじゃないだろうか?
昔は『疑わしきは罰せず』だったはずだけど、世の中の流れが変わってきたのか?
でも、冤罪事件が起こりやすい、この状況には問題があると思うなぁ。
よっぽどグウの音も出ない物的証拠がある時以外は、本来、有罪にすべきじゃないんじゃないのかなぁ?
訴えた被害女性だって、『ホントの犯人』への戒めが目的であって、第三者に無実の罪をきせたいんじゃないはずだ。
罰せられるべきは、痴漢の真犯人!!
裁判官の判断が、結果的に『冤罪に加担した事実』を多くの人の人生に残してしまうのだとしたら、・・・裁判官の誤った判断は、真犯人の痴漢行為と同じくらい罪深いよね。
裁判官は、もっと慎重に、真摯に『真実』を見ようとしなければならないのだと思う。
例え、軽微な犯罪であろうと、何もやっていない善意の第三者が、懲役3ヶ月は有り得ないし、あってはいけない。
『正義が勝てない世の中』では、善良に生きることが無意味に思えるようになる。
冤罪裁判の増加は、世の中を荒廃させる。
それとも・・・世の中が荒廃しているから、こんなお粗末な事件が増えているのか?
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