人間の理
人間の理について(2008年6月25日)
小村宏
魂が宇宙を作り、地球を作り、自然を作った。人間は進化の過程に過ぎない。魂の意図で人間がいる。魂の意図は人に正しく想像することはできない。人知を超えたものだからだ。
ストレッサーを感じていることこそ、自分を生かしていることに他ならない。
それ以外の時間は、命という肉体のエネルギーを無駄に垂れ流していることになる。
つまり、子供の遊びにはストレッサーもあるが、それがストレスにはならないのだ。
そして生き物にとっては心臓がドクンと言うだけでもストレッサーだ。
(※ストレッサーとは、ストレスの素になる可能性のあるもののこと)
我々は自然の一部に過ぎない。だからこそ、食べる以外の殺生は許されない。これを弱肉強食と呼ぶ。肉になるところに意味がある。不殺生を謳う菜食主義者の多くは劣等感を持った勘違い人間に過ぎない。なぜなら植物は生物だからだ。
魂は肉体を保持している間の経験が欲しい。それが人の欲求の源である。
その欲求と面と向かいたくない時に人は暇をつぶす。
欲求と面と向かうこともストレッサーである。暇はストレッサーである。
魂(無)>宇宙(空)>自然(命)>人間(個)とだんだん魂から遠ざかっているが、これは魂が新たなストレッサーに出会うためであり、進化とは魂が欲しがる刺激に従って行われている。魂にはストレッサーがない。だから生きてはいない。肉体にはストレッサーがある。だから生きていると言える。肉体に便乗して魂は、魂のままストレッサーの感覚を得ていると思われる。過去には、宇宙に便乗した魂がいたということだ。
魂とは分割の意味を持たないということであり、宇宙とは個の意味を持たないことである。自然とはルールの意味を持たないということ。人間は、そのいずれをも意図して学びとらねばならない存在として生まれる。人間は生まれながら無意味であるとともに意味を付与するための存在だ。個として意味を付与することは、魂にとっては無意味だが。
色即是空が1番目、空即是色が2番目、一切皆空は3番目と考えないと人間には魂は理解しにくい。色は個が持っており、空とはすなわち魂のことである。意味の存在がまるっきり無意味だからだ。魂の意味を語ろうと思うと魂の持主である肉体の話をすることになる。
進化は果てしない。魂から遠ざかる方向で進化をしていく。ストレッサーがだんだんと激しくなるが、それに適応した生き物へと進化は成功する。進化の形は、その時代の生き物がデザインできないことが前提と思われる。未知もストレッサーの1つだからだ。
