メディアジャパン学園ブログ

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2007/06/10

城萌え①

二俣城へ行って来ました!駐車場から歩いて上っていくと、トイレをすぎたあたりから突然二俣城の案内が流れだし30cmほど飛び上がったあと、それをBGMに馬出し、そして虎口へ、この北虎口は喰違い虎口となってます。ここから見る天守台はほんまに素晴らしい。萌える(燃える)な~。標高90mの高台にあり、主な遺構として本丸、天守台、二の丸、曲輪、蔵屋敷などが残っています。ぜひ皆さん城に興味ある方もない方も行ってみては。 二俣城とは

文亀年間(1504)に今川氏により築城され、二俣近江守昌長から450年間在城した。

永禄11年(1568)徳川家康が攻略。その後、元亀3年(157210月下旬式田軍は二股城を武田勝頼に攻撃させたが容易には落ちず、天竜川に設けられた水の手の井戸櫓を壊して飲科水を絶ち1219日に落城します1222日信玄の軍勢は、二股城を南下して浜松城へは向かわず、途中で三方ヶ原に向きを変えます。これを見た家康は、信玄は浜松城を攻めずに三河へ向かうと考え出陣。武田軍は2万五千、家康軍は織田の援軍をあわせて1万1千このあと三方ヶ原の戦いとなっていくんですね

信玄亡き後、徳川家康は天正3年(15755月、長篠の戦で勝利を得た徳川軍は、武田勢を一掃すべく依田信蕃が守る二俣城を攻め、開城させ大久保忠世が城主となった。

その後、家康の関東移封のとき大久保氏は小田原城へ移り、この時に城は廃城。

この城でもう一つ有名なのは、天正7年(1579)9月15日、徳川家康の嫡男信康が織田信長の命で切腹した城がこの二俣城なんですね
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